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紙の三角形
坂入美紀子さん

限りある人生をどう生きるか――「自分自身もプロジェクト」と捉え、広い視野で物事を見渡していく

坂入美紀子さん

製薬会社の開発部門 プロジェクトマネージャー

薬局で経験を積んだのち、「医薬品の開発に携わりたい」と製薬会社へ。そしてさらに、2020年にはプロジェクトマネージャーとして転職を果たしました。趣味はランニングと筋トレ。自分の人生もまた“プロジェクト”と位置づけ、日々アクティブに過ごしています。

坂入さんのコメント動画はこちら↓

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調剤薬局での経験、母の境遇…製薬会社への転職を決意した理由

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薬学部を卒業し、調剤薬局でファーストキャリアを歩み始めた坂入さん。薬剤師として2年間の経験を積んだのち、製薬会社に転職しました。

この転職について、「私の祖母が若くして他界したことが大きいと思っています」と坂入さんは話します。坂入さんのおばあさまは、34歳のときに胃がんで亡くなりました。そのときおかあさまはわずか14歳。幼くして実母を亡くし、心細い思いをされたそうです。

医薬品の効果には個人差があり、全員に等しく同じ薬が効くわけではありません。薬局で調剤する日々の中、坂入さんは「患者さんやご家族に、母のような悲しい思いをさせたくない」という思いを募らせていました。
そんなときに医薬品開発の仕事を知り、製薬会社へのキャリアチェンジを決意したのだそうです。

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「もっと広い視野で製薬に貢献したい」。未経験ながらも目指したPMへの道

転職後は、抗がん剤をはじめ、生活習慣病や婦人科系の開発薬を病院で試してもらうオペレーションを担当。メンバーとコミュニケーションをとりながら、リーダーとしてプロジェクト管理を模索しました。

そのときに印象深かったのが、医師がこぼした「『もうあなたに使える薬はないです』と伝える瞬間が一番つらい」という言葉でした。
「サイエンティフィックな専門知識を伸ばすというキャリアパスもありましたが、私はもっと、自分にできることの選択肢を増やしていきたいと考えました」。坂入さんは、そう振り返ります。

もっとビジネスの視点で製薬に貢献できないかと考えた結果、未経験ながらもPMへの挑戦を決意。
2020年6月、別の製薬会社の開発部門にPMとして転職しました。現在は、開発の早期段階から流通・販売まで、医薬品のライフサイクルを見渡す役割を担っています。

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人生もまたプロジェクト。PMになって目覚めた、セルフマネジメント

人生もまたプロジェクト。PMになって目覚めた、セルフマネジメント

入社後の試用期間中にPMP試験に挑戦。2020年11月に合格してからは、PMIの活動にも参加するようになりました。

ところで坂入さんには、仕事をするときに意識していることが2つあるそうです。
1つ目は、「人生何が起こるかわからない」ということ。2つ目は、「知らないことは最初から上手にはできない」ということ。この2つを両立させるため、経験や知識を自ら増やそうと時間もお金も使ってきました。ただ、1人の限られた時間の中ではマネージできず途中で諦めたり、そのアプローチには限界を感じていました。

現在は医療プロジェクトマネジメント研究会と定量的プロジェクトマネジメント事例研究会の2つに所属し、医療研では医療業界のより深い縦の知識を、定量研では異なる業界の知見や横の広がりを網羅しています。先輩PMの経験談から、自ら全てを経験しなくても知見を参考にするアプローチの重要性を実感しています。

「仕事で落ち込むことは、もちろんあります。でも自分にも仕事にもレッスンズ・ラーンド(教訓)を意識し、都度振り返ります。失敗から学べば、それは失敗ではない精神なんです。すぐに解決できないことがあっても、次がある。だから、いつまでも落ち込んではいないですね!」坂入さんは、そういって朗らかに微笑みます。

さらに坂入さんは、「PMになって広い視野を持ち、仕事や人生の目指したい方向が見えてきたことによって、“自分の人生もまたプロジェクト”と思うようになりました」と話します。始まりがあり、そして必ず終わる限られた人生を楽しく生きるために、プライオリティを見直し、コストパフォーマンスを考えて。

「とはいえ私の人生、リスクとイシューばかりですけどね(笑)」
そう笑ってみせますが、その顔はどこか嬉しそう。未知の事例に出会うとワクワクするという坂入さん。自らの人生を楽しみながら、坂入さんはこれからも一つひとつ壁を乗り越えていくのでしょう。

ライター:安藤未来 グラフィックレコーディング:岸智子 インタビュアー:小川原陽子

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